退職後、保険の営業を経て人事組織コンサルに。サントリーでの出会いや経験が、私の可能性を広げてくれた

サントリーのアルムナイである杉江美樹さん。1993年から約15年をサントリーで働いたのち、家庭の事情で退職するも、のちに生命保険会社の営業へ転身。その後はコーチング・キャリアコンサルティングで独立し、現在は企業の人材開発・組織開発を手掛ける、株式会社ワークプレイス・ラーニングの代表取締役を務めています。杉江さんは、どのような行動・決断によってキャリアを切り拓いてきたのでしょうか。

※過去にサントリーホールディングス㈱、サントリー食品インターナショナル㈱に在籍していた方専用のネットワークです

仕事の楽しさも悔しさも。サントリーが教えてくれた

― まずは、杉江さんのサントリー時代を教えてください。1993 年の新卒入社だそうです
が、どうしてサントリーを選んだのですか。

両親ともにお酒を楽しむ家庭で育ったので、お酒のある風景=豊かな人生という印象が私にはあったんです。そして、両親は「モルツ」が大好きだったから、サントリーには自然と興味がわきました。また、働いている女性がとてもイキイキと活躍しているように見えたのも、入社の決め手です。

― サントリーに勤めた約 15 年は、どんなお仕事を経験したのでしょうか。

大きくわけると3つの時代があります。はじめは、営業推進部で、スーパー・コンビニ向けの営業企画や営業サポートを経験しました。その次は入社 3 年目で異動した、ロジスティクス推進部。ここでは各地域の需要予測をもとに工場の生産量を決めるという需給調整を主に担当していました。そして、最後の約 5 年は、ロジスティクス推進部の役割が拡大・再編される形で生まれた SCM(サプライチェーンマネジメント)推進部。ここでは、調達から販売までの全体を見ながら、効率・品質を上げていくための各種プロジェクトを担当しました。


― 一番自分を成長させてくれた仕事は何ですか。

各時代の人や出来事に育ててもらったと思っていますが、思い出深いのは SCM 推進部時代ですね。これまでと仕事のスタイルが大きく変わり、与えられたお題に応えていくのではなく、自分でプロジェクトを起案して取り組んでいく必要があった。つまり、「自分の仕事は自分でつくれ」という状態だったんです。

なかでも一番印象に残っているのは、約 3 年かけて取り組んだ、オンデマンド印刷の導による販促物の発注数最適化。今では当たり前の発想かもしれませんが、私が取り組んでいた 2000 年当時はとても斬新なアイデアでした。私がこの取り組みを始めた理由は、従来の発注方式ではどうしても多めに印刷をせざるをえず、配布しても使われずに廃棄される販促物があったこと。「必要十分な量をお取引先の隅々まで届けるためには、仕方のないこと」だというのが当時の世の中の常識でもあったけれど、私はロスが生じていることに強い課題意識があったんです。サントリーにとっても取引先にとっても、消費者のみなさんだって誰も得しない無駄を、放っておけませんでした。
そこで、どうしてもこの改革をやりたいと、役員にプレゼン。そこまで言うならやってみなさいと了承してもらい、自分でメンバーを集めてプロジェクトを立ち上げました。でも、サントリーほどの規模の会社で全社の仕組みを切り替えるのは、簡単なことではありません。自分がリーダーとしてたくさんの関係者を巻き込む必要がありますし、立場によって意見はさまざま。ときには反対もされました。それでも自分が正しい・やるべきだと思ったことだから、最後まであきらめずに走り切り、年間数億円のコストインパクトを実現することができました。

SCM 推進部時代には、社内報にも登場。新たに発足した組織の役割や意義について紹介した


― 自分の意志で前例のないチャレンジをして、実現されたのですね。

はい、それが楽しかった思い出です。ただ、もちろんいつもそうだったわけではないですよ。会社員ですから、ときには自分の意志とは関係のない異動なども経験しています。組織の事情や私のライフイベントなどが重なって、続けたかった仕事ができなくなったこともあり、悔しい思いもしました。「同期は楽しそうに、順調にキャリアを積んでいるのに、なんで私は…」という気持ちになってしまった時期も、正直あります。

でも、たとえ自分の希望とは違ったとしても、せっかくもらった機会をどう活かすかは自分次第。「毎日小さなことで良いから何か工夫をしてみる」と目標を立てて続けているうちに、途中からその仕事が面白くなっていったんです。目の前の仕事をどう意味付けして向き合うか、といった考え方も鍛えてもらった気がしますね。

家庭の事情で退職。日々の生活をブログに綴っていたら、次のキャリアが見えてきた


― サントリーを退職することになったのは、家庭の事情だそうですね。

はい。親の病気がキッカケになり、家族を支えるために 35 歳で決断をしました。でもその選択ができたのは、自分で設定していた「35 歳までの目標」を達成していたからでもあるんです。それは、「1後輩を育てる」「2自分で企画した仕事を成功させる」「3サントリーを辞める・辞めないを決断できる自分になる」の3つ。いつの間にか全部叶えていたので、サントリーではある程度やり切ったかなという思いもあって、ここで区切りをつけることにしました。


― 目標の①②は先ほどまでのお話でイメージができるのですが、③「サントリーを辞める・辞めないを決断できる自分になる」とはどんな状態なのでしょうか

言い換えるなら、「会社に依存しすぎず自立的に自分の人生を歩める状態」と言えるかもしれません。この先サントリーで働き続けたとしてもやっていけそうだと思えるだけでなく、たとえば、「うちの会社に来ない?」などと声がかかって他の道を選ぶこともできる、そんな状態です。私の場合、仕事と家庭だけでなく、若い頃から社外のいろんな場に積極的に顔を出していました。趣味でフラメンコをやったり、昔の上司に誘われて異業種ネットワークに参加したり。人とのつながりを大切にして、いろんな居場所が増えていくうちに、「サントリー」という居場所がなくても自分らしくやっていけそうなイメージができた。だから決断ができたのだと思います。

― 多様な人とのつながりがあったからこそ、キャリアを中断する決断もできたのですね

そうですね。その意味では、私はサントリーの人たちとのつながりも失いたくなかった。当時、毎日の出来事をブログに綴って SNS で発信していたのですが、サントリーの知り合いへの近況報告の意味もありました。

ブログには、読み返して楽しくなるようなことを書くのが自分のルール。それを毎日続けていたら、自分は何をしているときが楽しいのか、何が好きなのかといった、志向や価値観が見えてきたんです。私は、やっぱり人が好き。たくさんの人に会って、いろんな人生の話を聞きたい。そうすることで人の役に立ちたい。親の病状が落ち着いたら今度はキャリアカウンセラーになろうと勉強をはじめました。

― ところが、杉江さんが次に選んだ仕事は外資系生命保険会社の営業でした。なぜこの選
択になったのでしょうか。

これも人とのつながりです。私の興味や勉強していることを発信していたら、「うちに来ない?」と生命保険会社の人からお誘いいただきました。話を聞いてみると、保険の営業もキャリアカウンセラーも、人の人生に寄り添うという意味では共通していた。まずはお金の知識を身につけ、キャリアとお金の両方が相談できる人になれたら素敵だなと思って、この世界に飛び込んでみることにしました。

サントリー時代のご縁や経験が、退職後も私の可能性を広げてくれた


― 生命保険会社の営業時代は、杉江さんにとって何を学んだ時期でしたか。

「自分の限界を自分で決めていた(限界なんてない)」ことに気づかされた時期でした。働いていた会社は超成果主義で何事も自分次第という環境でしたから、上司は私たちが大きな成果を出せるように、目標(人生の目標)を立てさせるんです。私としては大胆な夢を語ったつもりでも、「小さいなあ。それで、本当は何がしたいの?」と返される。そんな対話を繰り返すうちに、夢に蓋をしていたのは自分自身だと気づきました。「どうせ私には無理」と思っていることって、本当はやりたいことなんですよね。

私自身が無理だと思っていたのは、「起業すること」。でも、そもそもやりたいと思わなければ、「自分にできるかどうか」なんて考えもしないですよね。私って、本当は起業してみたいんだ。独立して、自力で仕事をしてみたいんだと気づかせてくれたのは、このときの上司のおかげです。

― なるほど。この経験が独立につながるのですね。

そうなんです。保険の仕事自体は、再び家庭の事情で区切りをつけることになるのですが、次はいよいよキャリアの仕事をしようと考えたときに、それなら自分でやってみよう、と。私がコーチングを学んでいることを知っていた保険時代の同僚 10 名くらいから、コーチングの引き合いがあり、以前からつながりのある企業人事から研修のご相談ももらっていたので、一歩踏み出してみることにしました。

― 全く新しい仕事へのチャレンジなのに、スタート時点から引き合いがあるのがすごい
です。

今思えば、これも人とのつながりを大切にして、発信を続けていたおかげかもしれません。SNS で私のチャレンジを知ってくださった人から連絡をもらったんですよ。もともと個人で活動するつもりではあったんですが、ちょうど 3 社くらいから社員向けのコーチングや研修のご依頼があって、サントリーからも 2 部門くらいからお話をいただきました。それならもう会社にしちゃった方が良いなと思って、法人を設立したんです。

「キャリア開発」「メンバー育成」「マネジメント」を軸に、研修講師としても活動

― サントリー退職後も、社員時代のつながりを大切にしてこられた結果ですね。

やっぱり私を育ててくれた会社ですから、「いつか何かしらの形でサントリーの役に立ちたい」という気持ちはずっとありました。こうやって実現できたことはとても嬉しいです。


― キャリアカウンセリングやコーチングなど、対個人の仕事で独立された杉江さんが、現
在は対企業の仕事として人材開発・組織開発のコンサルティングなども手掛けているのは
なぜですか。

サントリーを含む企業とのお仕事では、「女性活躍」をテーマとしたコーチングや集合研修を実施してきました。そうやって実績を積み重ねていくと、個人が前向きにキャリアを歩んでいくには、本人へのアプローチだけでは不十分だと分かってきたんです。マネジメントや組織がボトルネックになっているケースも往々にしてある。そうした課題にぶつかっている人事のみなさんを支援するようになり、徐々に、上司と部下で行う 1on1 施策の導入やマネジメント変革・組織変革に携わるようになりました。


― とはいえ、専門外の内容にチャレンジできたのはどうしてですか。

これは、サントリー時代の経験との掛け算です。SCM 推進部時代に、役員にプレゼンをしたり、社内外のさまざまなステークホルダーに対していろんなアプローチで調整・交渉をしたりしてきたこと。全社の仕組みを変える経験をさせてもらったことが、時を経てものすごく役立っているんですよ。

チャンスは天から降ってくるのではなく、人との出会いによって持たされるもの


― 退職後、サントリー時代の経験に助けられたことはありますか。

いっぱいあります。特に新人時代を過ごした営業推進部では、人との関わり方、仕事の優先順位のつけ方、資料作りからデータの読み解き方まで徹底的に叩きこまれたのが、私の基礎になっていると思います。在籍中はそれが当たり前だと思っていたのですが、サントリーの仕事の仕方は総じて非常に丁寧で完成度が高いことを、外に出てから感じます。おかげさまで、少なくとも資料作成やプレゼンテーションといった場面においては、転職後も困ったことはないです。


― 価値観やスタンスが、サントリーの影響を受けているなと思うことはありますか。

「とりあえずやってみるのは良いことだ」という価値観は、サントリー時代のカルチャーから影響を受けていると思います。慎重を期して動かないよりも、一旦走ってみる。その結果を踏まえて考えたいんです。あとは、コミュニケーションが誰とでもフラットなところ。お堅い会社だと、私がすぐに距離を縮めるので最初はびっくりされます(笑)。


― 何年経ってもサントリーで学んだことが杉江さんの中に息づいているのですね。では、
そんな杉江さんは今後どんなことに挑戦していく予定ですか。

私がこの仕事を通して実現したいことは、真面目に頑張っている人を応援すること。本人はめいっぱい努力をしていて、やる気もあるのに、仕事や環境などの何かが噛み合っていなくて報われないことって世の中にはたくさんあります。私はそんな人たちの味方でありたい。一人ひとりの気持ちに寄り添い、変化やチャレンジを応援していく存在でありたいです。

そのための手法として、今は企業や個人を直接的に支援していますが、もっとたくさんの人たちにヒントを提供していくのが私の目標。そのために、今後は本の執筆にもチャレンジしていきたいです。

― 最後に、現役社員のみなさんへ一言メッセージをお願いします。

私の経験からお話するならば、もし会社を離れたとしても「サントリー」という肩書きは望む望まざるに関わらず、ずっと付いてくるということです。裏を返せばサントリー時代の経験が外に出ても自分の評価や評判になっていくということ。だからこそ、目の前の仕事にどれだけ真摯に向き合えるかが、将来につながっているのだと私は実感しています。それは、人に対しても同じこと。結局のところ、チャンスは人がもたらしてくれるもので、どこからか急に降ってくるものではありません。仕事を通して多様な人々と出会い、そのご縁を大切にしていくことが、自分のキャリアを切り拓く鍵になるはず。まずは今のご縁を大切にすること。そして、社内でネットワークを広げることからはじめ、部署をこえた多様な価値観に触れる面白さを感じられたら、社外とのつながりを増やすようなチャレンジにも一歩踏み出してみると良いのではないでしょうか。

Profile】
杉江 美樹さん(すぎえ・みき)
株式会社ワークプレイス・ラーニング 代表取締役

立教大学経営学部ビジネス・リーダーシップ・プログラム兼任講師
1993 年、サントリー新卒入社。約 15 年の在籍期間には、営業推進、ロジスティクス推進、SCM 推進を経験し、親の病気をキッカケに退職。その後、外資系生命保険会社の営業を経て独立し、株式会社 Work F-style(現:ワークプレイス・ラーニング)を設立。現在は、人材開発・組織開発コンサルティング、コーチング、教育研修などを手掛けるかたわら、立教大学経営学部でも兼任講師を務める

*プロフィールは取材当時(24 年 9 月)のものです


(取材・文) 森田大理

※過去にサントリーホールディングス㈱、サントリー食品インターナショナル㈱に在籍していた方専用のネットワークです