パナソニックグループ・アルムナイの佐藤盛超(しげゆき)さんにインタビュー。
幼いころからの“家電愛”が高じ、パナソニックグループへの入社を果たした佐藤さん。
長年、生産現場でのキャリアを積みながらも、現在は「営業」という新たなフィールドで活躍されています。
今回は、そんな佐藤さんが節目節目で重ねてきた挑戦、それぞれのステージで得られた気づきややりがいなど、さまざまなお話を伺いました。
※こちらは過去にパナソニックグループに在籍していた方専用のネットワークです
「いつか自分のアイデアで新しい家電を…」
少年時代の夢を叶えるべくパナソニックグループへ入社
── パナソニックグループに新卒で入社された佐藤さん。社会人スタートの地として、なぜパナソニックグループを選ばれたのでしょうか?
幼いときから家電をよく分解していた私は、中学生くらいになると、はんだごてなどを使ってモノを組み立てるような電子工作にも夢中になっていました。
当時、世の中は家電の全盛期。MDウォークマンやプラズマテレビ、SDカードにブルーレイディスクが出始めたときでもあります。ものすごく業界全体に勢いがあって、私も「いつか自分のアイデアをもって家電をつくりたい!」という夢を抱くようになったんですね。
パナソニックへの入社は、そんな少年時代からの夢が大きなきっかけです。
── 他にもさまざまな家電メーカーがあるなか、なぜパナソニックグループだったのでしょうか。
たしかに日本にはたくさんの家電メーカーがありますが、そのなかでも私にとってパナソニックは、一番“かっこいい”存在でした。
尖り過ぎず使いやすいデザイン性や幅広い製品ラインナップ。さらには、私の持っていたポータブルMDが壊れてしまったときのサポート対応もすばらしく、会社の印象もすごく良かったんです。
また、実は当時住んでいた家からパナソニックの山形工場が見えていまして…(笑)
窓から眺める山形工場に「あの会社に入ろう」と、どこかでそう決めていたのもひとつの理由でした。
── あこがれのパナソニックグループでのお仕事はいかがでしたか?
内定後から入社までの2ヶ月間、カメラの生産ラインでアルバイトをさせていただき、入社後はカメラのレンズ担当になりました。
入社当初はパナソニックの巨大な生産ラインに驚くと同時に、「こんなマシンを使っているのか」「こんなことやっているんだ!」と、とにかくワクワクしたことを覚えています。
── そこから9年間、パナソニックグループの生産現場で経験を積まれたそうですね。このキャリアは、その後のお仕事にも活かせたのではないでしょうか?
そうですね。私はキャリアを広げたいという思いで2015年にパナソニックを退職しました。そして電気部品メーカーでスマホのカメラの部品を作る仕事に就いたのですが、やはりパナソニックでの9年間はかなり活きました。日本を代表する生産工場でモノづくりをやってきたその技術はもちろん、出荷責任を背負う厳しさを経験してきたのだということに辞めてから改めて気づいた部分もあります。
この電気部品メーカーは生産現場がフィリピンにあり、国内本社の日本人は生産を経験したことのない開発担当ばかりでした。
生産現場を経験している私は海外工場の生産性改善・品質改善やトラブルなど、フィリピンの現地スタッフの気持ちに寄り添う事ができ、パナソニックで培った対応力によって乗り切ることができました。
これまでの苦労をも活かしながら、新たなフィールドに挑戦中
── では次に、現在のお仕事についてお聞かせください。
現在は、技術系の製品を取り扱うNBKマーケティングという会社で、営業の仕事をしています。
取り扱うのは、化学やガス、プラントをはじめとする様々な業界の日常点検においてDXが簡単に安く導入ができるIoTカメラ。ご導入いただいたあとのカスタマーサクセスのような役割も持ちながら、現場のDXをサポートしています。
── これまでのキャリアにはなかった「営業」。大きなチャレンジでもあったのではないでしょうか。
実は私自身、はじめはとても不安でした。私にとって「営業」というものは“ノルマを達成する仕事”というイメージだったんですね。うまいことをお客様に伝えながら、少しでも高く、少しでも台数を増やして…といった印象で、果たしてそんなことが自分にできるのだろうか?と。ところが実際にやってみるとまったくそんなことはなく、このお仕事は“必要なところに必要なモノを送り届ける仕事”だとわかりました。
困っているお客様の声を丁寧に聞きながら、自分の想いを素直な言葉で相手に伝える。
これができれば、お客様の求めているものはしっかりと届けることができる、ということに気が付くことができました。
── それはやりがいにもなりそうですね。
はい。長いあいだ製造業に携わってきたからこそ現場管理の大変さは知っていますし、社内でDXを進めたいと思っても、技術の問題ではなく、組織の風土やマネジメントスキルが必要で、なかなかうまく進められなかった経験も私にはあります。
そういった、これまでの実体験や感じてきた想いを言葉に乗せ伝えることで、お客様がこれまでできなかったことへの実現につなげる──。これは私にとって大きなやりがいとなりました。
もちろん、新しいフィールドですのでまだまだ悩むことも多いですが、本を読んだり、スキルマーケットでレッスンを受けたりしながら、営業の効率化を学んでいるところです。
── パナソニックグループ時代のご苦労までもが、今ここで活きているのですね。その他にもご経験を活かせていることはありますか?
パナソニックでは、専門用語といった知識のところから、社会人としてのお客様との向き合い方、そして大手企業ならではのドキュメント管理や、開発から出荷までの手順と、安定した生産の実現などにおいて、それぞれ抑えなければいけないポイントを学びました。この“ポイントを知っている”ことは今の仕事にもとても役立っていて、たとえばお客様にご提案する際にも、必要以上に時間や手間をかけないまま肝心なところはしっかり抑える、わかりやすい説明を心がけるといった進め方ができています。
── パナソニックグループを退職し、はじめて“外の世界”に飛び出してからまもなく10年。今日までを振り返ってみていかがですか。
パナソニックを退職しようと決めたときはとても不安でした。「パナソニック」という大きな看板を捨てて、自分は通用するのだろうか…という気持ち。そして、こんなに大好きな製品、モノづくり、この安定した給与や福利厚生を捨ててまで、いったい自分は何がしたいんだ?と葛藤したこともありましたね。
でもいざ飛び出してみると、なんとかなるというか、なんとかする力を身に付けるものなんです。
会社に安定させてもらうのではなく、自分で安定させる──。
そんな、自分の手で自分の世界を作り上げるスキルが備わったように感じていて、結果的に良かったと思っています。
発信することで生まれる新たなつながりに期待!
── パナソニックグループのアルムナイネットワークについて、どのように感じていらっしゃいますか?
日本ではどうしても、退職者は“裏切り者”のような文化が根強いですが、パナソニックにはそんな淋しい文化にならないで欲しいと思っているので、こういったコミュニティは非常にうれしいです。
今回私がこのインタビューをお受けしたのも、「退職した人間が今こういうことをしているよ!」といったことを発信することで、新しいお付き合いが生まれるのでは?と感じたから。ぜひこれからも盛り上がって欲しいと思っています。
── 最後に、パナソニックグループのアルムナイメンバー、そして現役メンバ―の方へメッセージをお願いします。
アルムナイメンバーのみなさんとは「元パナソニック」という関係性で交流を深め、いろいろな経験を積んだ者同士のつながりを作っていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします!
そして、現役メンバーのみなさん。
私が伝えたいのは、決して「やめることが正解」ということではありません。やりたいことを社内ルールの縛りの中でも調整しながら「パナソニック」というブランドを背負ってしっかりと目的を成し遂げている人もたくさんいます。それはとてもすごいことですし、やりがいにもなるでしょう。
どのような道を選んだとしても大切なのは、“自分がどう働きたくて、どうありたいか?”に正直であること。ぜひ、自分の想いにまっすぐに向き合いながら、前へ進んでいってください!
※こちらは過去にパナソニックグループに在籍していた方専用のネットワークです