子どもの憧れの職業として人気を誇る「プロサッカー選手」。しかし、華やかなキャリアの一方で、収入面や就職難などセカンドキャリアでの問題が多く存在しています。
今回取り上げるのは浦和レッズを引退後に会社員という新たな道を選択した元Jリーガー、渡邊敦夫さん。現役時代から「バブ」の愛称で知られる渡邊さんは会社員として部長職を務める傍ら、奥様が代表を務める「俊五郎ソーセージ」でも活動しています。引退後、サッカー選手とは全く異なる環境で直面した困難や俊五郎ソーセージとして浦和レッズのホームゲームに出店することになった経緯、浦和レッズサポーターへの感謝の想いをお話しいただきました。
浦和レッズという素晴らしいクラブで引退したい
ーーサッカー選手としての経歴を簡単に教えてください。
千葉県の市立船橋高校に入学して、数多くの全国の舞台を経験させてもらい、最後の年にはインターハイで準優勝することができました。その後は日本大学に入学して大学サッカーを続けました。後に浦和レッズで一緒にプレーする岡野雅行さんは、実は日本大学時代の先輩にあたります。そして、日本大学を卒業して1997年に浦和レッズに加入しました。1年目こそ全く試合に絡めませんでしたが、2年目からはリーグ戦の出場機会も貰えるようになりました。最終的に浦和レッズで3シーズンを過ごし、契約満了と同時に選手を引退しました。
ーー20代半ばでの引退というと、年齢的にはまだ現役選手を続ける選択肢もあったのではないでしょうか。
もちろん、現役選手を続けていきたい想いはありました。1999年の浦和レッズは成績が振るわず翌年にはJ2降格となる15位でシーズンを終えました。J2降格によるクラブの事情もあってか、私はシーズン終了間際に契約満了を告げられました。他クラブからお声がけもいただきサッカー選手を続けたいという気持ちの一方で、これまで大きな怪我を繰り返していたこともあり、「ベストコンディションでプレーできるように回復するのだろうか」という不安な気持ちもあったんですよね。いつか怪我が原因でサッカー選手を引退することになるのなら、浦和レッズという素晴らしいクラブで引退したいと思うと不思議と悔いはなく、引退を決断しました。
どんな仕事でも「基本に忠実に」
ーー引退は怪我の影響が大きかったのですね。サッカー選手を引退後はどのようなお仕事をされたのでしょうか?
知り合いの紹介でダイキン工業の子会社に就職しました。それまでサッカー中心の生活だったので、最初はコピー取りなどの簡単な業務に慣れることも一苦労ですよ。ちょうど娘が生まれたタイミングだったこともあり、弱音を吐いていられる状況でもなく、5年間は辛抱強く頑張りました。次第に業務も覚えてきて、最後には広告作りができるようになるなどできる業務の幅は広がっていきました。
その後は現在勤めている建装工業株式会社に転職しました。この転職も人とのつながりがきっかけで、たまたま千葉県内の寿司屋で再会した高校時代の友人が建装工業の役員を務めていたんですよ。そこから話すうちにこの会社で働いてみたいと思い、転職を決断しました。新しい業界で一からのスタートだったため、1社目と同じく最初は雑務であろうと全力で取り組みました。そうすると徐々に信頼を得られるようになり、今年度4月から首都圏塗装事業部 京葉第一支店 副支店長に昇格することができました。
ーー素晴らしいですね。サッカー選手からサラリーマンとしてキャリアをスタートする際に不安なこともあったのではないでしょうか。
正直、不安しかなかったです(笑)。他の社員さんは10代から勉強して働いてと頑張っていた中、私は全く違うことをしていたわけですから、その差を少しでも埋める必要があります。お恥ずかしながら、私は就職するまで字もあまり書いたことがなくて(笑)。まずは「周囲の人が当たり前にできること」をできるように、必死に頑張りました。
ーーサッカー選手としての経験が退職後の仕事に活かされた場面もあったのではないでしょうか?
浦和レッズに入る前からずっと厳しい練習環境にいたので、精神的なタフさは非常に活かされました。雑務であっても腐らずにやり続けられたのは、サッカー選手としての下積みがあったからだと感じています。
他には「基本に忠実に」「基礎練習を反復する」など、物事を上達させる考え方は仕事にも活かされました。インサイドキックが出来ないサッカー選手がいないように、どんな仕事においてもまずは基本が固まっていることが大事ですよね。サッカーしかやっていなかったですが、そのサッカーには人一倍真剣に取り組んでいたので、こういった考えも自然と身についていたのだと思います。
ーー反対に、サッカー選手と異なり苦労した点は何かありますか?
「俺が俺が」と自己主張することだけが自分の価値をアピールする方法ではないということですね。サッカー選手は日々の練習のなかで11名に選んでもらい、出場した試合のなかで監督やファンに対して自分の価値を証明して、次の試合の出場につなげる必要があります。なので、サッカー選手はピッチの上で自分を主張することに必死です。
しかし、会社は違います。より自分の役割が整理されているため、自分の能力をアピールすれば評価されるというわけではありません。それに多くの場合、仕事は自分一人では完結せず、何十人・何百人という人と関わりながら成し遂げる必要があります。そのために、社交性を身につけ、共に働く人に協力したいと思ってもらうことが大切です。そうやって周囲を巻き込む方法は就職してから学んでいきました。
「俊五郎ソーセージ」として浦和レッズに帰ってきた
ーーこの度、千亜希夫人が代表を務める「自家製 ハム ソーセージ 俊五郎(以下、俊五郎ソーセージ)」のキッチンカーが浦和レッズのホームゲームに出店することになりました。この度の出店のきっかけと渡邊さんの想いをお聞かせください。
俊五郎ソーセージは2016年に妻の渡邊千亜希が家業を引き継ぐ形で立ち上げました。立ち上げ当初は店頭販売していましたが、3年間ほど経ってキッチンカーでの販売を始めました。とあるご縁で浦和レッズ主催の肉フェスに出店した際に、サポーターの方が食べに来てくれたことが本当に嬉しくて。そんなきっかけもあり、この度の出店でもレッズサポーターが立ち寄って、OB選手と気軽に交流できる場所を作っていきたいと思っています。
ーー実際に出店してみて、反響はいかがでしたか?
レッズサポーターの方がたくさん来てくれて非常に嬉しかったです。中には、24年以上前の私のユニフォームを持ってきてくれる方もいて、本当にありがたい話です。現役当時に熱心に応援してくださったファンの顔は今でもわかります。20年以上も熱心なレッズファンでいてくれていることは、浦和レッズというクラブにとって何よりの財産ですね。
ーー素敵なお話しですね。これから俊五郎ソーセージへ訪れる人のために、ソーセージの魅力を教えてください。
一つ一つ手作りしていて、着色料・防腐剤・増量剤を使用していないため、小さな子どもでも美味しくヘルシーに召し上がれます。また、ソーセージ本来の美味しさを楽しんでいただくため、厳選した国産の肉と天然のスパイスで風味豊かに仕上げております。シンプルなフランクフルトはもちろん、チーズやピリ辛のチョリソー、ホットドッグやトルティーヤドッグなどさまざまなメニューをご用意しております。
おすすめは、カレー味のソーセージ「カリーブルスト」とドイツのフライドポテト「ポメス」、パンやザワークラフトがついた「OBセット」です!埼スタ出店のために私が監修したオリジナルセットなので、ぜひ召し上がってください。
ーー観戦しながらのビールにぴったりなラインナップですね!
この度の出店を通じて、レッズやレッズサポーターとどのようなつながりを作っていきたいですか?
浦和レッズのOB選手とサポーター、サポーター同士が再会する暖かい場を作れれば嬉しいです。ホーム開幕戦に出店した際に、改めてサポーターの暖かさに感動しました。OB選手という立場だからこそ、現役時代よりも近い距離で話したり、感謝を伝えたりすることができます。私もできる限りお店に立とうと思っていますし、岡野さんも手伝ってくれると言っていました(笑)。そうやってレッズOB選手がふらっと立ち寄って、その場にいるサポーターと交流できれば良いですね。
ーー引退後に浦和レッズ選手OB会に参加する良さを教えてください。
浦和レッズ選手OB会の良さは、有名とか活躍したとかに縛られずに和気あいあいとつながれるところです。24年前に退団した私がこうして浦和レッズのスタジアムに戻ってこれたのは、浦和レッズ選手OB会でゆるくつながっていたからだと思います。
ーー今後、浦和レッズ選手OB会の活動を通じてどのようなことをしていきたいですか?
埼玉県内のイベントであれば積極的に出店したいと思っているので、お気軽にお声がけください。特に浦和レッズ選手OBのイベントに出店して埼玉県を盛り上げられたら最高ですよね。先日は同じく浦和レッズ選手OBの佐藤太一さんのイベントに出店させてもらいました。キッチンカーの出店を通じて、少しでも浦和レッズに貢献できれば嬉しいです。
ーー本日は貴重なお話ありがとうございました!