私が新卒入社7カ月でSansanを退職した経緯「適当な辞め方だったら今の関係はなかった」

終身雇用が崩壊したと言われる現代ですが、それでも「退職」という言葉にネガティブなイメージを持つ人は多いのではないでしょうか。

「入社後3年は頑張るべき」「早々に会社を辞めるなんて根性なし」といった企業側の声も、「退職面談で上司にひどいことを言われた」といった個人側の声も、まだまだ耳にする機会はあるもの。

しかしその一方で、早期に離職しても前職の上司と良い関係を持ち続ける人がいるのも事実。両者は一体何が違うのでしょうか?

そこで、元Sansan株式会社、現株式会社リフカムの社長・清水巧さんと、清水さんがSansanに在籍していた時の上司である久永航さんにインタビュー。お二人は2013年4月〜10月まで上司・部下の関係でしたが、清水さんは新卒入社後わずか7ヶ月でSansanを退職しています。それでもなお、交流があるという2人。

当時から約6年が経った今だから話せる退職面談のエピソードや、今も円満な関係性を築けている理由、会社とアルムナイ(退職者)が良い関係を構築することのメリットなど、赤裸々にお話いただきました。

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株式会社リフカムの社長・清水巧さんと、清水さんがSansanに在籍していた時の上司・久永航さん

PROFILE

Sansan株式会社 プリンシパルデータソリューションアーキテクト
久永 航 

1998年物産システムインテグレーション(現三井情報)入社。2007年日本SGI(現日本ヒューレット・パッカード)に入社しクラウドサービスの立上げに従事。2009年Sansan入社。法人営業、カスタマーサクセス部長、CIO職を経て、2018年から現職で顧客のデジタルトランスフォーメーションを推進。

株式会社リフカム 代表取締役
清水 巧 

Sansan株式会社にて、個人向け名刺アプリ「Eight」、法人向けクラウド名刺管理サービス「Sansan」の立ち上げに従事した後、株式会社リフカムを設立。累計5億円の資金調達を実施。850社以上のリファラル採用の立ち上げを支援。2018年にはForbesの「アジアを代表する30歳未満の30人」で、 エンタープライズ・テクノロジー部門に選出。

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「僕が日報を出さない3つの理由」という日報で、入社直後に炎上

—— 清水さんはなぜSansanへ新卒入社されたのですか?

清水:学生時代の僕は就職活動をしながら、同時に起業も意識していました。なので、自分の考えた事業プランを面接官にプレゼンするようなちょっと変わった就活生だったんですよ(笑)。当然ですが、どこの会社に行っても「いやいや面接に来てるんだよね?」って相手にしてもらえないんですけど、唯一Sansanだけは耳を傾けてくれたんです。

しかも、当時開発部長だった藤倉さん(現Sansan CTO)が「事業プランは面白いと思うから、あとでそのプレゼン資料を送ってくれたらフィードバックをするよ」と言ってくれて、送ったら本当にめちゃくちゃ細かくフィードバックをくれたんです。

最終的に、「起業をするために足りないものがあるなら、まずはうちで修行してからでもいいんじゃないか」と言っていただき、Sansanに入社することにしました。

だいぶ尖っていますね(笑)。そんな清水さんの当時の上司だった久永さん、新卒として入社してきた清水さんの当時の印象について教えてください。

久永:一つのことに向かって突き進む力というか、コミットする力が非常に強いと感じました。

実は、清水くんは当時私が部長を務めていたカスタマーサクセス部ではない別の部署に配属予定だったのですが、新卒社員の配属に関する会議で、僕が「ぜひうちの部署に欲しい」という話をしたんです。

当時のカスタマーサクセス部はこれから仕組み化をしていく段階でしたし、一人一人が担当する顧客の数も膨大な中で、彼ならパワーを発揮してやり切れると感じたのが理由です。

清水:僕は当時から言われたことをやるよりも、まず自分が納得した上で行動にうつすタイプでした。久永さんはそれを踏まえて、新卒の僕にもいろいろな仕事を任せてくださり、指示をするというよりも並走するイメージで接してくれたことを今でも鮮明に覚えています。

株式会社リフカムの社長・清水巧さん

—— 清水さんのSansan時代の印象的なエピソードを教えてください。

清水:いろいろと事件はあるのですが、中でも「日報事件」ですかね(笑)。社内SNSのようなツールを使って新卒社員はみんな日報を出していたんですけど、当時の僕はなんでやるべきなのか全然分からなくて。入社後1ヶ月くらいで出すのを辞めてしまったんです。

久永:日報は社内SNSのグループに投稿をする形だったので、直属の上司だけじゃなく先輩社員も清水くんの同期もみんなが見ているものなんです。なので、彼が日報を出していないことをみんながツール上でオープンに指摘していました。

清水:それでもどうしても納得ができなくて。その後、数週間ぶりに日報を出したんですけど、「僕が日報を出さない3つの理由」というタイトルを付ける始末でした(笑)。そしたら社内でめっちゃ炎上してしまい、社長の寺田さんには「もう清水は詩人になれよ」ってコメントをされてしまって。

その次の日、久永さんから声をかけていただき面談をしました。社長からも指摘をうけたので、「久永さんにも絶対怒られるだろうな」と憂鬱な気持ちでした。でも、久永さんは「日報を出すことの意味」を僕に丁寧に説明してくれたんです。

「自分でやったことを振り返ることと、自分の課題を周りの人からフィードバックしてもらうことは、成長を加速させるために必要なんだ」と話していただいて、それ以降は日報を書くようになりました。

実は、Sansanを辞めて社長になった今でも日報の習慣は大切にしていて、毎日書いた日報は社員にも公開しています。

久永:この日報事件からも分かるように、清水くんは腹落ちしてから動きたいし、納得するまで聞いてくる社員だったんですよね。それこそ「なんでそのKPIなのか?」「そのKPIを達成させることに意味があるのか?」という本質的なところに疑問を持って聞いてくることもよくありました。

でも、カスタマーサクセスのKPIって難しいですし、評価にも関わるので会社で決めたKPIを簡単に変えるわけにもいかない。もちろん清水くんだけ違うものにするわけにもいかないですし、「なぜやるべきか納得してから動きたい」という清水くんの気持ちをどう埋めてあげたらいいかは悩みましたし、難しかったですね。

ただ、Sansanは会社のValuesにもある通り「強みを活かす」という文化で、社員一人一人に向き合う姿勢の会社なんです。カスタマーサクセス部に配属された新卒は当時清水くん1人だけだったので、部署の先輩みんなが彼に向き合っていました。

清水さんがSansanに在籍していた時の上司・久永航さん

新卒の僕が辞めることが、会社にとって投資対効果に見合っていないことは分かっていた

部署の先輩が一丸となって清水さんの強みを生かそうと向き合ってくれる中、清水さんは新卒入社7ヶ月で「退職」という決断をされています。その決断に至るまでの背景をお聞かせください。

清水:もともとSansanで3年くらい修行して、起業をする力を付けてから辞めるつもりだったんです。でも、僕が入社してから半年でSansanの社員数が1.5倍になったり、大きな投資を受けたり、会社が急成長していくことを肌で感じるうちに、「早く自分でも会社をやりたい」と思うようになりました。

会社は研修もしてくれて、上司も先輩もものすごく僕に時間を使ってくれていた。そんな中で僕が辞めることが、会社にとって投資対効果に見合わないことは重々承知していたんです。それでも、居ても立ってもいられないほど、起業したい気持ちが強くなってしまって。申し訳ないと思いながらも辞めることを決意しました。

久永:まさか半年で旅立つとは思っていなかったですが、退職の意思を告げられた時、正直そこまで驚きはなかったです。というのも、清水君が葛藤しているのは分かっていましたし、いずれ起業したいという意思も知っていたので、「Sansanにい続けることが彼にとってハッピーなことなのか?」というのは僕自身も考えていました。

なので「あぁ、このタイミングで来たか……」というのが正直な感想です。もちろん、清水くんのことは戦力としてカウントしていましたし、部署のみんなで彼に向き合ってきたので、残念というか、率直に寂しさはありました。

清水:会社に対しても、久永さんに対しても、申し訳なさと心苦しさがありました。でも、久永さんは常に僕を認めて、受け入れてくれた上で「じゃあどうするか?」というコミュニケーションを取ってくれる上司。だからこそ、「退職の話をしても応援してくれるだろうな」という安心感がありました。

上司との信頼関係がないと、本音を言えなかったり、相談自体できなかったりすることはあると思うんですけど、僕の場合は「まず久永さんに相談しよう」と思える心理的安全性があったので、ありがたかったですね。

また、久永さんとお話した後に社長の寺田さんや共同創業者の富岡さんとも面談しました。彼らは10年以上会社員として修行を積んでからSansanを立ち上げていますから、お叱りと同時に「たった半年のインプットで会社をやれるほどのものを得られているのか?」と問われたことを覚えています。

中途半端に応援するのではなく、「絶対に失敗するぞ。それでも大丈夫なのか?」と正直に言っていただき、その上で「どうせお前はまず自分でやってみないと納得しないだろうから、やってみたら?ただし、中途半端な挑戦はするな。また報告しに来い」と背中を押してくれました。

今思い出しても愛があるなと思いますし、厳しく送り出してくれたからこそ、僕も覚悟を決めて本気で起業に挑戦できました。実はその後、立ち上げた事業のマネタイズが難しくキャッシュアウトという派手な失敗を実際に経験しました。

それでも、覚悟があったからこそ這い上がることができましたし、「絶対に失敗するぞ」と寺田さんや富岡さんが率直に言ってくださったからこそ、「言われた通り失敗しました。でも、こんな学びがありました」という報告をすることもできたんです。もしもこれが「絶対にうまくいくから頑張れ!」みたいな表面的な応援だったとしたら、報告には行けなかったと思います。

株式会社リフカムの社長・清水巧さん

退職から2年半後に再会できたのは、最後の最後までお互いが向き合ったから

— 清水さんがSansanを退職してから、お二人が再会したのはいつですか?

久永:ちゃんと再会したのは、かなり時間が経ってからでしたね。たしか2年半ほど経った頃に清水くんから連絡があって、会いました。連絡をもらった時は素直に嬉しかったですね。当日はサプライズで当時同じカスタマーサクセス部だった別のメンバーも連れて行き、3人で飲みました。

清水:なぜそのタイミングだったかと言うと、僕も中途半端な状態では会いたくないなって思っていたんです。派手な失敗を経験し、そこから這い上がって今のリファラル事業を始めたタイミングで、久永さんにもしっかり報告をしたいと思いました。

お会いするのが2年半ぶりだったので緊張もありましたが、失敗も含めて今自分がやっていることをちゃんと胸を張って話せるタイミングだったので、楽しみな気持ちの方が大きかったです。

元上司・部下の関係って、辞めた後に気まずくなって疎遠になってしまうケースも多いですよね。そんな中、お二人はなぜ今の関係になれたのだと思いますか?

久永:きちんと送り出せたことが大きいのかなと思います。一緒に働いている間も、清水くんが辞める時も、お互いにめちゃくちゃ向き合いましたしね。もし、清水くんが「辞めます!」と急に飛び出してしまっていたり、会社がちゃんと送り出していなかったりしたら、違う結果だったかもしれません。

清水さんがSansanに在籍していた時の上司・久永航さん

清水:Sansanの人たちは、僕が辞める時に叱ったり厳しい言葉をかけたりしながらも、最後は一緒に写真を撮って送り出してくれました。Facebookに退職と起業の報告を投稿したら、Sansanのみんなが続々と応援のコメントをしてくれましたし、本当に感謝しています。

—— 久永さんは上司として、退職した部下とのつながりを持ち続けることにどのような良さを感じていますか?

久永:良し悪しというか、純粋に人として応援したいという気持ちですね。たとえ会社を去ったとしても、かつて同じビジョンに共感した同志であることに変わりはありません。そんな人たちとのつながりそのものが財産だと思っています。

自分自身もSansanが1社目というわけではないですし、辞めた部下に対しても、縁が切れたという感覚は全くなくて、「転勤した」くらいの感覚です。同じことを目指した仲間とつながりたい、応援したいという気持ちを持つのは自然なことなんじゃないかなと思っています。

——では清水さんはアルムナイとして、辞めた会社とつながることにどんな良さがあると思いますか?

清水アルムナイ側としては、辞めた会社の人たちとつながることはメリットしかないですね。Sansanの方々に事業に関する相談をさせていただくこともあるのですが、古巣だからこそ図々しくいろいろと聞かせていただけますし、僕の場合はSansan同様にSaaSのビジネスをしているので学びが多いです。

また、現Sansanの方とのつながりはもちろん、僕のようなSansanアルムナイ同士のつながりも価値が大きいです。起業したアルムナイ同士で情報交換をするなど、“Sansanマフィア”として切磋琢磨しています。

そして何より、久永さんを始めSansanの皆さんに良い報告をしたいという気持ちがモチベーションになっています。弱気になってしまいそうな時には、退職時に送り出していただいた時のことを思い出して、自分を奮い立たせていますね。

株式会社リフカムの社長・清水巧さんと、清水さんがSansanに在籍していた時の上司・久永航さん

取材・文/築山 芙弓 編集/天野 夏海 撮影/安部 紗乙莉・根岸 泰宏