近年、人的資本経営に注目が集まっています。
人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方。
ここでいう「資本となる人材」には、自社の社員だけでなく、自社の退職者である「アルムナイ」も含まれることをご存知ですか?
人的資本としてのアルムナイ
ヒト・モノ・カネと言われるように、従来の人材は経営資源の一つでした。資源である人をどのように効率的に使うかが重視され、人件費や福利厚生費など、財務諸表の人材に関する項目から「人材に掛けたコストに対して、費用対効果が見合っているのか」を判断するのが基本の考え方です。
そこから人材を「資本」と捉えるようになったことで、人材もまた企業の価値を生み出す元手と考えるようになりました。企業の競争力を左右するのは人材の能力や経験であり、それらを伸ばすためにお金や時間をかけることはコストではなく「投資」という前提に変化しています。
ここで重要なのが、アルムナイの捉え方です。
「退職したら、その人に掛けた投資はゼロになる」というのがこれまでの考え方でしたが、退職後もアルムナイネットワークを通じてアルムナイとつながりを持ち続ければ、退職者とのビジネス連携や再雇用の可能性が生じます。
つまり、退職後も人材に対する投資の効果が企業に還元され続けるのです。
さらに、企業とアルムナイの関係性は終身です。社員が雇用期間中だけの関係性なのに対し、「〇〇社の元社員」である事実は、退職後もずっと続きます。
人的資本の範囲をアルムナイにまで拡大することによって、一度雇用した人材は自社にとって半永久的な資本となり、その資本は経年で増えていく。いわば自社の人的資本をフロー型からストック型に移行させることができるというわけです。
このように、人材の流動性が高まる中、社員の退職によって人的資本への投資対効果をリセットさせずに済むのが、人的資本経営におけるアルムナイネットワークの重要なポイントと言えるでしょう。
なお、経済産業省が発表した人的資本経営を進める上での基礎資料「人材版伊藤レポート2.0」では、「動的な人材ポートフォリオ計画の策定と運用 」と「サクセッションプラン(※)」の項目で、アルムナイについて言及されています。(※後継者育成計画)
人的資本経営を実践に移していくためのアイデアを提示した本レポートで、アルムナイとの持続的な関係構築の重要性が指摘されているのです。
4.動的な人材ポートフォリオ計画の策定と運用
・経営戦略の実現には、必要な人材の質と量を充足させ、中長期的に維持することが必要となる。
・このためには、現時点の人材やスキルを前提とするのではなく、経営戦略の実現という将来的な目標からバックキャストする形で、必要となる人材の要件を定義し、人材の採用・配置・育成を戦略的に進める必要がある。
〜中略〜
(2)ギャップを踏まえた、平時からの人材の再配置、 外部からの獲得
① 本取組の概要
・CEO・CHROは、人材ポートフォリオのギャップに基づき、可能な限り早期に、社員の再配置や外部人材の獲得を検討し、実行する。また、社員が社外で有効な経験を積んで自社に戻ることを奨励し、アルムナイネットワークの活用等を検討する。
〜中略〜
工夫4:アルムナイとの持続的な関係構築
・必要な人材を一人でも多く確保するために、社員一人一人が、自律的なキャリア意識の下で自社を出入りすることを前提に、自社を退職した人材(アルムナイ)と中長期的に優良な関係を築く。
・そのような自律的なキャリア意識を持つ人材が、自社に復帰することを希望した際は、「他社で得た経験・知見に基づいて、貢献をしたい」という目的意識が明確な人材として受け入れていく。
経済産業省「人材版伊藤レポート2.0」より引用
1.経営戦略と人材戦略を連動させるための取組
・経営環境が急速に変化する中で、持続的に企業価値を向上させるためには、経営戦略と表裏一体で、その実現を支える人材戦略を策定し、実行することが不可欠である。
・このような自社に適した人材戦略の検討に当たっては、経営陣が主導し、経営戦略とのつながりを意識しながら、重要な人材面の課題について、具体的なアクションやKPIを考えることが求められる。
〜中略〜
(5)サクセッションプランの具体的プログラム化
〜中略〜
工夫3:アルムナイとの持続的な関係構築
・自社を退職した人材(アルムナイ)の中でも、他社で得た経験や知見に基づいて、再び自社に貢献をしたいという目的意識が明確な人材は、経営人材としての活躍も期待される。
・経営者経験を持つ人材を一人でも多く確保するため、自社を卒業し自ら経営者となったような人材を迎え入れることも見据えて、アルムナイと中長期的に優良な関係を築く。
経済産業省「人材版伊藤レポート2.0」より引用
「アルムナイは人的資本」と公言する企業も
2023年3月期決算より、大手企業4000社に対する人的資本開示の義務化が決定しました。現社員の情報開示に向けて各社が準備を進めている段階であり、退職者にまで対応が及んでいないのが現状です。
ただ、すでに「アルムナイは人的資本である」と公言している企業は出てきています。
荏原製作所
荏原製作所がアルムナイの取り組みを始めたきっかけは、人的資本経営に基づいて人事戦略を一新したこと。その施策の一つとしてアルムナイネットワークを設立しています。
老田(荏原製作所):荏原製作所は事業や企業の歴史上、堅実な風土を持ち合わせていました。しかし、先行きが不透明なこれからの時代の変化に対応するため、人的資本経営に基づいて人事戦略を一新し、その一つの施策としてアルムナイに取り組むことを決めました。
きっかけは、長期ビジョン「E-Vision2030」のなかで、2030年にありたい姿として「競争し、挑戦する企業風土」を目指していこうという中で、2017年に年功序列の人事制度を見直し、社員のキャリアの自律意識や働きたいところで働くといった意識を醸成していく方向へ舵を切っていきました。それに伴って、組織の在り方も社員のみのクローズドなカタチから、企業の外側にも目を向けたオープンな組織づくりが重要であると考えるようになりました。
引用元:【セミナーレポート】アルムナイネットワークは人的資本の境界線を拡張させる
日立ソリューションズ
「“雇用”にしばられない新しい関係性」を掲げ、アルムナイとの協創によるイノベーションを目指す日立ソリューションズでは、「人的資本経営の鍵を握る戦略の一つ」としてアルムナイネットワークをピックアップしています。
参照元:日立ソリューションズWebサイトより「対談特集 アルムナイネットワーク」
中外製薬
中外製薬では「アニュアルレポート2021」で「キャリア形成に向けた⽀援 」の一つとしてアルムナイ制度を挙げており、退職者を人的資本と捉えている姿勢が見て取れます。
双日
「統合報告書2023」の人材戦略に関する報告書では、「双日らしい人的資本経営の追求」と題したページに「緩やかな双日グループ」として、アルムナイが含まれています。
また、2022年12月に発表された「双日における人的資本経営の取り組み」と題した資料では、人材戦略を支える3つの柱の一つ『挑戦を「促す」』施策にアルムナイが入っています。
アルムナイの情報開示の例
「退職者がどう自社の業績に貢献したのか」を提示できれば、従来はマイナスでしかなかった離職がプラスに転じます。「人材への投資効果が、社員の退職後も回収できている」事実を示すことは、株主や投資家にとってもポジティブな要素として映るでしょう。
情報開示の義務化が始まったばかりということもあり、現時点で人的資本の指標にアルムナイを入れている事例は確認できていませんが、ここでは企業のアルムナイの取り組みフェーズに応じた情報開示の例を考えていきます。
フェーズ1. 基本情報の開示
まずは自社のアルムナイの取り組みについて基本的な考え方を発信します。
同時に、自社がアクセスできるアルムナイの基本情報を開示します。アルムナイネットワークの登録人数や、アルムナイが持っているスキルや経験、資格などの能力、企業名や職種など現職の情報、年齢や性別といった属性など、主にプロフィールから読み取れる内容です。
フェーズ2. アルムナイの状態とアルムナイに関する取り組みの開示
アルムナイの状態を示すのが次のフェーズです。再入社や協業、副業・兼業などを希望しているアルムナイの人数など、自社に対するアルムナイの内面的な部分をアンケートやサーベイを通じて可視化します。
これにより、経営戦略上の重点項目に対して、必要な人材を社内で育てる、あるいは新規で採用をする以外に、「アルムナイの中に該当する人材が〇〇人いる」「そのうちの〇〇人が協力をしてくれる可能性が高い」といったことを示せるようになります。実際に経営戦略につながるアルムナイとの取り組み事例があれば、それも示しましょう。
これは言い換えれば、「自社で得たスキルが、退職後のキャリアでどう成長していったのか」の可視化です。また、アルムナイが過去在籍した企業とどのような関わり方を希望しているかは、在籍していた頃の就業体験が大きく影響します。
その意味では、社員に対する投資の長期的な結果が出る項目とも言えるでしょう。
アルムナイを人的資本と捉えた上で、その情報を開示し、経営指標に影響を及ぼしていることを示せれば、自社の人材教育が有効であること、自社での経験が人材にとってプラスに働いていることを示せるのです。
フェーズ3. 成果の開示
アルムナイの取り組みを始めて一定期間がたち、まとまった成果が生じた頃に、その実績を開示します。アルムナイとの協業や再雇用、アルムナイからのリファラル採用や顧客紹介など、発生した件数及び人数を示しましょう。
定量面以外の具体的な内容についても、例えば以下のような記載が考えられます。
- アルムナイネットワークを通じて再雇用された人材が取締役に就任した事例を、サクセッション(後継者育成)の成果として公表
- アルムナイネットワークを通じて退職理由について調査をし、その結果を元に対策を行った事例を、離職率改善の成果として公表
これらは人的資本や組織そのものの境界線を拡張したからこそ生じた成果。雇用関係で閉じていた企業と人の関係性を退職後にまで広げたことを成果によって提示しましょう。
フェーズ4. 経営戦略と連動した指標の開示
アルムナイの取り組みが最終段階まで進み、経営戦略と紐づいてきたら、経営戦略と連動した指標としてアルムナイに関する情報を開示します。
わかりやすい例として、アルムナイの業績貢献が挙げられます。アルムナイによって生じた売上と利益から、アルムナイが業績にどのくらい影響を与えたかを可視化できれば、アルムナイの取り組みによって経営指標に直結した成果が出ていることを示せます。
社員だけで利益を上げていた従来の在り方から、社員に加え、社外のアルムナイも業績に貢献する存在であることを提示する。これはアルムナイを人的資本と捉え、真摯にアルムナイの取り組みを進めてきたからできることであり、「アルムナイは自社にとって人的資本である」ことを体現することであると言えるでしょう。
まとめ
「アルムナイ=再雇用」というイメージを抱いている企業は少なくありませんが、アルムナイの取り組みは単なる人事施策ではなく、人的資本経営に大きく影響を与えるものです。経営戦略として考えるべきであり、アルムナイを人的資本として捉え、長期的にアルムナイの取り組みを行った結果、再雇用をはじめとした成果につながっていくのです。
人的資本の情報開示はまだ義務化が始まったばかりですが、数年後にはアルムナイの情報開示をする企業も出てくることが予想されます。今後、従業員の情報と合わせてアルムナイの情報を開示するのがスタンダードになるかもしれません。
まずは人的資本経営の一環として自社のアルムナイをどう捉えるのか、考えてみてはいかがでしょうか。