「最後の砦」とも称されるトヨタ自動車でエネルギー問題に挑戦したい。富永さんの再入社までの道のり。

2016年にトヨタ自動車株式会社(以下、トヨタ)に新卒入社し、2022年に退職。その後、エネルギー業界で経験を積み、2024年に再入社された富永知樹さんにインタビューしました。

――これまでのご経歴を教えてください。

学生時代から一貫して水素の研究に携わりました。就活中のあだ名は「水素くん」でした(笑)。学業では交換留学や国際学会で受賞するなど専門性(オタク)を磨く一方、放課後・土日にGAFAMでのパートタイムやエネルギー・商社・マスコミ・日系ITでのインターンシップ、ビジネスコンテストなどで経験を積ませていただきました。
新卒時の配属先は、燃料電池自動車の開発部署でした。夢のスタート地点に立ったと、胸が熱くなりました。他にも月面ローバー、商用車などの業務を担当。その後、東富士研究所に異動し、街づくりや水素製造、広告プロジェクトなどに関わりました。その後、エネルギー会社へ転職、経営戦略や事業戦略を2年ほど経験し、トヨタへ再入社しました。

――トヨタでの経験で、印象に残っていることはありますか?

トヨタとの初めての出会いはインターンシップでした。1度目はエンジン開発の部署でしたが、「もっといいクルマをつくろうよ!」という意志が浸透し、開発現場も活気づいていました。内緒ですが私はホンダが好きでした。VTEC、特にS2000のF20C型エンジンが大好きでした。しかし2度目のMIRAIの開発現場で、世界初の燃料電池自動車を送り出す、その熱気が強烈で、この職場にいつか戻りたい、目指したいと思うようになりました。「スーツ・作業着もきれいに着られないやつに良い図面は書けない」と、紳士だけど厳しかった設計部署の上司、「まずヒト、モノ、カネ、時間、社会人の基礎体力を鍛えあげる。そしてマトリクスで事実を整理すると見えるものがある」という評価部署の上司は今でも非常に尊敬していますし感謝しています。
そして新たな水素というエネルギーとともにトヨタならではの安心をお届けする、その使命を背負う一員となれたこと、尊敬できる先輩方と一緒にお仕事ができたこと、有志で水素製造プロジェクトの市場調査~提案そして設計まで携われたことが印象に残っています。「大きい会社でも必死になれば、若手技術者でもプロジェクト提案ができるのか。」と、興奮と感謝、愛社精神が込み上げてきたのを覚えています。

――ご自身の専門性ともリンクしたキャリアに思えますが、トヨタを退職された経緯はどのようなものだったのでしょうか?

自動車業界だけではなく水素社会全体を後押しするような事業創出を行いたいと感じたことがきっかけです。課題意識として、水素ステーションの収益性は低く水素自体の価格も高価。水素を国内製造することによってエネルギー自給に貢献したいという考えからでした。
また東日本大震災以降、資源価格の高騰や為替変動などによりエネルギー輸入額は拡大傾向にあり、何か自分にもできることはないかと考えていました。

――転職後、約2年半でトヨタに再入社されていますが、どのような経緯があったのでしょうか。

正直、再入社するとは思ってもいませんでした。そのような身勝手が許させる会社ではないし、戻る場所はない、その覚悟で転職しました。夢の職場でお世話になった先輩方、部署の方にも挨拶の上、送り出していただきました。当時、配属先だった東富士研究所から、本社への出張を計画し合間を見つけ、タイミングの合わない先輩、仲間にはプライベートでご挨拶に伺いました。


転職したエネルギー会社では社長室直下の部隊で経営戦略や事業戦略を担当しました。
エネルギーの川上から川下。その中で外からみた自動車産業。エネルギー分野での業務にやりがいを感じていたのですが、事業戦略を整理していく中で、会社の経営方針(エネルギーの調達先・輸送手段を多様化することで安定供給に貢献する方針)と自身の考え(エネルギー自給率を高めることで安定供給に貢献する志)に決定的なギャップがあることに気づきました。資源国からの調達網をより強靭にすることも非常に大切です。ただ、自身の想いと役割、埋まらないギャップから起業もしくは転職するしかないなと考えるようになりました。まだ1人、2人しかいないスタートアップとも話を進めていました。総合商社やコンサルティングファームも検討しました。


その頃、トヨタのアルムナイが立ち上がったことを耳にして交流会に参加しました。起業した方、事業会社に転職された方など様々なアルムナイと交流しました。トヨタイムズでトップのメッセージや開発現場が紹介されていたことも大きかったです。水素へのアンテナを貼っていると、自ずと情報が入ってきました。アルムナイネットワークでの交流を経て、「日本のために誰と働きたいか」ということを改めて真剣に考えるようになりました。自分の中で「日本の最後の砦」とも言われるトヨタで、自動車産業550万人の仲間と共にもう一度チャレンジしたい、「国・地域のエネルギーを一緒に考えたい、対話したい」という想いが強くなっていくのを感じました。

そしてアルムナイネットワークの掲示板で求人情報を見つけ、事務局のへ問い合わせをしたことから再入社に至ります。エントリーができたのは、当時一緒に働いていた仲間や、働く環境が良く、挑戦的な転職と出戻り、それを許してくれたトヨタがあったからだと思います。その分、ビジョン・やりたいことにフォーカスして再入社を考えられました。
また一度目の転職で新しい職場にギャップを感じた経験から、転職エージェントを経由せず、アルムナイネットワークで直接事務局の方に求人内容などについて質問・相談することができたのも安心材料のひとつとなりました。

――再入社が決まった時のお気持ちや、周囲からの反応はいかがでしたか?

再入社が決まった時は率直に嬉しかったです。特に地域で交流していた方々、周囲で応援してくれていた方も喜んでくれました。一方で、当時とは全く違う部署、そして東京本社での勤務に、「ここからが再スタート」と気持ちを引き締めて入社日を迎えました。
そんな緊張感もある中、お世話になった上司から電話をいただきました。同期から「おかえり!」と言葉をもらい、ホッとしました。より一層ここでがんばろうという気持ちが強くなりました。

――再入社後はどのような業務を担当されているのでしょうか。

現在は個人的にも好きなLEXUSでの業務を担当しています。部署の役割は、車だけにとどまらず、バリューチェーン全体の中で体験・デジタルを活用。そして顧客生涯価値や顧客満足向上の実現、そのための事業企画を担います。その中でDX関連のプロジェクトを0から企画しています。取引先からはプロジェクトマネージャーに位置付けてもらい0→1の事業創出に挑戦しています。またお客様へ直接体験価値提供をする場面もあります。
研究開発の中でお客様と直接話をする機会はほぼありませんでした。ただ現在は、お客様との新しい懸け橋、そしてシーズとニーズとの懸け橋をつくる仕事であり、やりがいを感じています。

――再入社されて感じたギャップや、再入社しての気づきはありますか?

勤務地や業務内容が違うため、日々勉強ばかりです。ですが根本は新卒から育てていただいたトヨタの風土です。社外に出てあらためて実感しましたが、トヨタには尊敬する先輩やハイレベルな技術者・事業屋がたくさんいます。そのような環境に感謝しています。改めて日本のみならず、世界に挑戦することができる場所だと感じています。
いい意味でのギャップという点では、アルムナイ採用ができたことです。アルムナイネットワークができたことで、会社としてアルムナイを歓迎している雰囲気が伝わり、個人的にも納得いくキャリアが描けたため、とても感謝しています。
一方で再入社して改めて気づいたことは、一部では前時代的な雰囲気が残っている点です。だからこそ、トヨタの外を経験してきたアルムナイ・出戻りメンバーが社外で学んだスキルや経験を活かすべき課題だとも感じます。

――最後に、アルムナイへメッセージをお願いいたします。

トヨタは変革が大きく進んでいます。日本企業の良さは残しつつ、兼業も解禁されるなど、多様な価値観の尊重、挑戦しやすさ、働きやすさのある職場になりつつあると感じています。私自身は、会社としての学費支援制度はありませんが、働きながら博士課程への進学を目指し、より地域経済が豊かになるエネルギー事業の在り方を研究することで余暇も何か社会貢献したいと考えています。
少しでも再入社に興味のある方は、アルムナイコミュニティの交流会へ参加してみてはいかがでしょうか。ご自身の挑戦したい事業がトヨタの中にある方、協業に興味のある方も情報が得られるかもしれません。私自身、トヨタの中も外も経験したからこそ、社内でシリアルアントレプレナーのような役割に挑戦したいと思っています。そして社外で起業や新規事業・新規技術に携わっている方々と、繋がる機会が生まれたら幸いです。末筆ですが諸先輩方、偉そうに申し訳ございません。今後もエネルギー・モビリティを通じて経済や心が豊かな社会づくりに貢献したいと思います。