「OB/OGは民間と官庁の“翻訳者”」アルムナイネットワークが経済産業省にもたらした効果

経済産業省(以下、経産省)は『「人生100年時代」の企業の在り方』の中で、企業が従業員に向けて取り組むべきポイントの一つに「新たな関係性の構築」を上げています。そこで言及されているのが「退職社員」の存在。

「人生100年時代」の企業の在り方~従業員のキャリア自律の促進~』より

アルムナイ(退職者)と、辞めた後も良い関係を続けようとする企業は増えつつありますが、経産省にも「経産省OB・OG会」があります。

そこで、2000年に経産省を辞め、2019年に再度出戻りをした古谷さん、2011年に経産省を辞め、アルムナイネットワークを立ち上げた栫井さん、そして現役とアルムナイとの橋渡し役となってきた経産省の浅野さんにインタビュー。

元経産省の有志メンバー達がアルムナイネットワークを立ち上げた理由、それによって生じた効果など、経産省の取り組みについて伺いました。

経済産業省 商務・サービスグループ サービス政策課長(併)教育産業室長 浅野 大介さん(写真右)
経済産業省 経済産業政策局 新規事業創造推進室長 古谷 元さん(写真中央)
株式会社Publink 代表取締役社長 栫井(かこい)誠一郎さん(写真左)

アルムナイネットワークによって「脱藩官僚」の雰囲気が変わった

——古谷さんは経産省から一般企業に転職し、2019年に再び経産省に戻られたそうですね。その経緯を教えていただけますか?

古谷:1993年に通商産業省(現在の経産省)に入り、2000年に退官しました。その後は、外資系のコンサルティング会社や投資銀行、投資ファンドを経験。ずっと金融の世界にいるつもりでしたが、経産省に戻る最初のきっかけになったのは東日本大震災です。

復興ボランティアをしている時に中小企業庁が官民復興ファンドを立ち上げると聞き、その立ち上げに経産省時代に親しかった先輩が関わっていたので手伝いを申し出たのです。そこで経産省との関係がまた新たに構築されました。

その後、栫井くんがつくったアルムナイネットワークにも参加するようになり、「管理職の公募制度があるから申し込んでみては?」と声をかけられ、自ら手を上げて昨年経産省に戻りました。

——栫井さんが経産省のアルムナイネットワークを立ち上げたんですね。その経緯を教えてください。

栫井:私は2005年に経産省に入り、2011年に退職しました。退職前に震災が起きたこともあり、自分はこの人生で何ができるのか、このままでいいのかを考えるようになったんです。民間を知らずに経済政策をしているジレンマも感じていたので、まずは視野を広げたいと企業への出向を希望しましたが叶わず、結果的に退職して起業を決めました。

アルムナイについては、強力なアルムナイネットワークを持つアクセンチュアの友人から話を聞いていて、いいなと思っていたんです。そのため退職時に「経産省にアルムナイネットワークはあるか」を人事部門に確認したのですが、「現状はない」という回答で。

それなら自分で作ってしまおうと考え、経産省OBの先輩にもご協力いただき、退職の2カ月後に「YaMETI(やめてぃ)の会」というアルムナイネットワークを作りました。経産省の英語の略「METI(Minister of Economy, Trade and Industry)」と「辞める」をかけて、冗談半分につけたネーミングです(笑)

その後、メンバーが100人になった時に「経産省OB・OG会」という名前に変更して、今では私含めて4人で運営をしています。

——アルムナイのメンバーは、どのように増やしていきましたか?

栫井:完全に口コミです。優秀な方々は個人でつながっているので、まずは「イケてる人」を30人集めることにしました。そこからコンスタントに良い人が集まる交流会を続けていき、じわじわと人数が増えていきました。

2〜3年前からは浅野さんに協力してもらったことで現役との交流も始まり、それによってアルムナイネットワークに興味をもつアルムナイはさらに増えたように思います。現在は130人ほどのメンバーがいて、アルムナイ同士や、現役とアルムナイで交流をしています。民間と官庁が距離を縮める場にもできればいいですね。

以前は「脱藩官僚」といわれるなど、「官僚を辞める=アンチ霞が関」のような雰囲気がありましたが、アルムナイネットワークを運営していくことで少しずつ雰囲気が変わっていったように感じます。

アルムナイとの心理的な距離は、組織が自ら作ってしまったもの

——浅野さんが、アルムナイと現役との交流を始めようと思ったのはなぜですか?

浅野:自分自身、経産省を辞めた先輩や同僚との交流を続ける中でかなりの学びを得ていたからです。省庁と企業での物の見方の違いや、企業に入ってみて素晴らしかった点や期待外れだった点など、新しい視座を身につけたアルムナイからさまざまなことを教えてもらっていました。

不思議なもので、役所を辞めて企業に転じたアルムナイの多くは「やはりパブリックに何か貢献し続けたい」という気持ちが強まるようなんです。企業で働いていて「自分は企業利益だけではなく、公益の人間でもあるんだ」という想いを抱くようで。

栫井:アルムナイの人たちは経産省を辞めても、社会への熱い想いは変わらずに持っているんです。集まると自然と社会の話になりますし、「これビジネスになるよね」と誰かが言えば「社会的にどんな意味があるのか」と誰かが投げかけ、終電まで会話が盛り上がることも少なくありません。

浅野:そんなアルムナイの人は良い気づきを教えてくれるんです。「この政策のこの点は市場に受け入れられている、逆にこれはダメだ」など、外部にいて客観的にうちの組織を見るようになってこそ得られる情報をくれることも多いです。

——アルムナイと交流することで、現役の方は外の世界の情報を知れるのですね。

浅野:実際、経産省で仕事の成果をコンスタントに出している人たちは、まず例外なく、独自の分厚い外部とのネットワークを持っていますし、それをケチケチせずに共有し合います。ところが最近は「外部の人とどう接していいかわからない」という悩みを持つ若手も増えていまして。

ちょうど私の同期の世代が各部局の課長補佐以下の親分格を務めていた時期に、そんな「迷える若手」が外の世界とつながる入門編を作れないかという話が上がりました。まずは会話の通じやすいアルムナイと何かできないか。こちらとしても相手がアルムナイであればある意味安心ですし、若手にとっても“外の世界との翻訳者”になってくれるアルムナイの存在は心強いのではと考えました。

ちょうどその頃、栫井くんが一生懸命アルムナイのネットワークを作っていたので、アルムナイと現役との交流会をしようと持ちかけたんです。

——アルムナイと現役との交流を実現するまではどんな道のりだったのでしょうか?

浅野:先ほど話があったように、今とは違って以前の経産省は「途中で辞める人」に対してけっこう厳しい側面がありました。私の同期なんかものすごい人数が転職しているんですが、親心からか退職前の引き留めがすごくて、逆に嫌な気持ちをした人もいたようで。これは結局、「退職者が出ることで、次なる退職者を生むのではないか」という恐怖心からくる押さえつけだったんじゃないかなと思います。

私自身はそこに問題を感じていました。アルムナイとの心理的な距離は、組織が自ら作ってしまったもの。「これだけ高度人材の流動化が進む時代に、役所としてこれを打破してみたい」と人事に伝えたところ、人事側も同じ問題意識を持っていたんですよね。

そこで、栫井くんたちに連携しようと話をもちかけ、当時の事務次官の判断で交流会を一度やってみようという話にまとまりました。

——アルムナイと現役が交流する上で、難しかった部分はありますか?

浅野:役所の場合、アルムナイが所属する企業との癒着を疑われるようなことがあってはならないわけです。この点はものすごく注意が必要で、国の政策リソースを特定企業に流そうとしていると見られないためにも、いろいろと線引きをする必要があります。

そこで栫井くんには基本的なコンセプトとして、「ビジネスとしてつながるのではなく、公共政策に貢献したい人と交流したい」とお願いしました。経産省から予算を取って仕事をしたい人ではなく、本業でしっかり稼いだ上で、自分の持つ公共心を発露して企業で培った経験をフィードバックし、良い政策をつくる手伝いをしたい人が集まる場にしようと。

その上で、今後は友人や家族のような視点でアドバイスをしてもらえるような関係づくりをしていきたいと考えています。

栫井「転職ではなく、卒業。アルムナイと現役の垣根はもっと緩くていいはず」というスタンスで運営していきたいと思っています。

アルムナイは民間と官庁の“翻訳者”

——現役がアルムナイと交流するようになって、いかがですか?

浅野:役人と企業人が継続的に深く対話を続けることは、結局公益につながるんです。ポッと出会った、ごあいさつ程度の関係性では、企業人も役人になかなか本音など明かしません。

その点、アルムナイは、企業の視点や意図を理解した上で、それを役人目線で翻訳して私たちに話をしてくれる。極めて希少な “翻訳者”としての役割が大きいと感じています。

古谷:現役もアルムナイも「社会を良くしたい」という共通の志を持っています。だからこそアルムナイは「自分が触媒になりたい」という想いを持ってくれている傾向にあるように思います。

浅野:現役との交流会に参加しているアルムナイは、公共政策に自分の経験を生かしたい気持ちが強い人たちだと感じますね。

古谷:役所を辞めたアルムナイにとっても、これまで自然に触れられた情報がなかなか入ってこなくなり、辞めて5年も経てば、コンタクトを取りたいと思ったときも政策の実務担当の現役は知らない人ばかりになります。でも、アルムナイ同士のつながりがあれば、そこがクリアになる。自分がどんな仕事をしている人間なのか、経産省に伝えやすいメリットもあります。

栫井:実際、現役への協力を希望するアルムナイの人たちに、「どんな会社でどんな仕事をしていて、どんな協力ができるかを知らせてほしい」と頼んだところ、何十人もの情報が集まりました。同意を得た上で現役に情報を公開していますので、今後はさらに両者の協業が進むのではと期待しています。

浅野:栫井くんが粘り強く、アルムナイネットワークをオーガナイズしてくれた功績は大きいと思っています。現役の僕らがオーガナイズするのは難しいですから。

——アルムナイネットワークを立ち上げるのは簡単なことではないと思います。栫井さんのモチベーションはどこにあったのですか?

栫井:僕はもともと縦割りの組織の壁を壊して、社会をより良くしたいという思いがありました。他の組織を経験した上で、パブリックな領域に戻ってくるというのは辞める前から決めていて。

なので、官と民が行ったり来たりできるような社会を創っていくことに貢献したいと思ったし、そういう活動で霞が関に価値を提供することで、霞が関の人たちが退職後も僕を仲間だと思ってくれるような関係づくりが必要だと考えていました。敵だと思われてしまったら何もできませんから。

実際に官民をつなぐ取り組みを推進するPublinkという会社を立ち上げましたが、経産省はもちろん他の省庁の方々からも頼ってもらえるようになって、一緒にできることはたくさんあると感じています。社会を変えていけそうな予感を少しずつ感じられていますね。

>>後編はこちら
経済産業省とアルムナイに聞く、企業とアルムナイの関係が社会にもたらす価値

プロフィール

経済産業省 商務・サービスグループ サービス政策課長(併)教育産業室長
浅野 大介さん

2001年経済産業省に入省。これまで資源エネルギー、地域経済・中小企業、知的財産、貿易・国際物流などの業務に従事してきた。現在は、サービス政策課長として、サービス産業の労働生産性の向上に向けたHR改革やDXの推進、政府一体で進める「GIGAスクール構想」を中心とする教育改革の推進、地域密着型のスポーツクラブ産業の創出など、幅広い業務を進めている。

経済産業省 経済産業政策局 新規事業創造推進室長
古谷 元さん
1993年通商産業省(現在の経済産業省)に入省。2000年に退官後、ベイン・アンド・ジャパン・インコーポレイテッド、UBS証券、アドバンテッジ・パートナーズに勤める。岩手県産業復興相談センターに着任し、宮城県産業復興相談センター、福島県産業復興相談センターも兼務。フロンティア・ターンアラウンドを経て、2016年丸の内キャピタルに参画。数々の民間企業での経験を元に、2019年に経済産業省に戻る。

株式会社Publink 代表取締役社長
栫井(かこい)誠一郎さん

2005年経済産業省に入省。成長戦略、人材政策、生産性向上、研究開発など、法改正を含むさまざまなジャンルに携わり、内閣官房への出向経験もある。官と民、両方の肌感を理解しつなげることの必要性を痛感し、2011年に経済産業省を退職。その後、経済産業省のアルムナイ組織を立ち上げる。Webサービスの企画開発を中心としたベンチャー企業をはじめ、2回の起業(共同創業を含む)を経て、2018年に株式会社Publinkを設立。官民をつなぐ多種多様なコミュニティの運営、イベント事業、コンサルティング業務などを推進

取材・文/久保佳那 編集/天野夏海 撮影/築山芙弓